お寺の活用と役割とは

ここ数日の間、身寄りのない方のお見送りが続きました。
見送る人は、ケアマネージャー、甥、成年後見人の司法書士など。

ケアマネージャーさんからは
「ほんまに助かりましたわ」と声をかけていただきました。
このような時代に善称寺としては、
どのような対応ができるのか探りたくて、
ケアマネージャーの経験のある方に、お話を聞く機会をいただきました。

入居者の方が亡くなって、身寄りがなかった場合の対応は
施設やケアマネージャーさんによって変わるそうです。
事務的な対応に終始する人もいれば、
今までお世話してきた人を送ってあげたい気持ちで
葬儀の手配からお見送りまでやり遂げる方もあるということ。

このような問題は死後の対応とともに、
どのような老後を暮らすかということも考えていくべきでしょう。
先日、あるお寺の住職が、
最近の年寄りは「きょういく」と「きょうよう」が大事である。
と言っていました。
「きょういく」とは「今日いくところがある」
「きょうよう」とは「今日用事がある」の略だそうです。

お話を聞いた元ケアマネージャーさんは、
月に一度、お年寄り方で集まって食事会をしているそうです。
そのメンバーで、どこかで集まって雑談や得意な事を披露するような時間が作れないかと考えて、公民館などの施設を検討していました。
それならぜひお寺を使ってくださいと、そんな話にもなりました。
生前にそのような繋がりができていれば、
身寄りのない人をみんなで見送ってあげれると思います。
もしかすると、昔のお寺はそんな感じだったのかもしれません。

他にも、作品展や小さなコンサートならできるかもしれません。
思わぬ方向に話が進み、
私としてはやっぱり人に会って話すことって大切だなぁと、
つくづく思わされたことでした.

善称寺の本堂。
実はここでいくつかの催しを開催したことがあります。
落語会、シタールの演奏会、朗読、水彩画展などです。
しばらく法務で大変でしたが、
また何か企画できると思います。


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