住職の日記

雨がふりそな。

和歌浦に住むKさん宅へお参りでした。
Kさんは85歳で一人暮らし。
ご主人が亡くなった時からのご縁です。

「この辺はスーパーまで遠いやろ。
茶菓子もなんも無しで悪いけどこらえてや」。

Kさん宅の周辺には買い物できるところが
コンビニしかないのですね。
スーパーは電話をすると配達してくれるそうですが。

近所のお家もお年寄りが多く、
昔はよくあった道端での立ち話もめっきり少なくなったそうです。
同じような地域は多いと思います。

「ま、これ飲んでってや」
そう言って差し出されたのはリポビタンD。
Kさんは毎朝飲んでるそうです。
「これ飲んだら目さめるわ。やっぱこれやわ」。

今日は午後から雨が降るとの予報で。
「雨が降らないうちにおいとましますね。」
私はそう言ってバイクにまたがったのでした。

Kさん家のお仏壇

年に数回発行される寺報「善称寺だより」の
コーナーに「阿弥陀さ〜ん いらっしゃ〜い」があります。
今回は和歌山市内のKさん宅にお邪魔いたしました。

Kさんのお家には私が駆け出し坊主の頃から大変お世話になっておりました。
築何年くらいのお宅でしょうか、古民家という言葉がぴったりです。
壁や建具、調度品など、さり気ないのですがとても素敵なんですよ。
ご本人は「古いだけで」とおっしゃいますが、
大切に暮らされているのが伝わります。

そんなKさん家のお仏壇は、
いかにも浄土真宗らしい金仏壇です。
これまた年月を経て、家の一画にそっと馴染んでおります。
購入のご縁は、昭和28年にKさんの祖父が亡くなられた時だそうで、
当時は日高郡川辺町の和佐にお住まいでしたが、
御坊市の仏壇店から和佐まで背中に担いで運んだのだとか。
大変な時代ですね。

当時は金箔もピカピカで、
幼いKさんはお仏壇の中にある装飾を見て遊んだそうです。

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私もその装飾を見せていただきましたが、
僧侶や人々、天女のような人物もいて、何やら物語がありそうです。
当時のKさんはすごく珍しく思い、色彩もとても豊かであった為、
おままごとのような想像をして遊んだそうです。

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Kさんのお父さんは警察署勤務。
9人の大家族で、ご飯はたいてい麦ご飯です。
麦ご飯は今でこそヘルシーフードのような存在ですが、
当時の麦ご飯は黒くて平べったくてべちゃべちゃしていたそうです。
ほんのりと麦のにおいもあり、ぜんぜん美味しくなかったのだとか。
ですからたまに白いご飯の時があると「今日は白ごはん!」と喜んだそうですよ。

そんなKさん家の麦ご飯でも、お釜の真ん中だけは白いご飯だったそうです。
なぜだか分かりますか?
お仏壇にお供えする用に、麦ご飯の真ん中だけ少し白いご飯だったんですって。
人間は麦ご飯でも、仏様には白いご飯ですよ。
なんとまぁ、お仏壇が家族の中心になっているのがお釜の中の様子に表れていますよね。
なんまんだぶ。

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「小さい子がいる家庭にはお仏壇はとても良いと思います」とKさん。
私も、親が手を合わせる姿を見て育った子は、
知らず知らず大切なことを学んでいると思います。
命のこと、私たち大人はうまく話せないものですよね。

家族が引っ越したりしてお仏壇の場所は変わりましたが、
何十年もの時を経て今も変わらずKさんが手を合わせるお仏壇です。
いま私も、そこで手を合わせるご縁をいただいて本当に嬉しく思います。

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余談ですが、Kさんのお家には蔵のある素敵なお庭があります。
雑木林のような自然な庭にしたいそうですが、
なにしろ仏間から良い眺めなのですよ。
この庭にイチジクの木がありまして、
このイチジクをもぎって食べさせてもらったのです。
白イチジクという珍しい種類だそうで、
とても甘くて果汁がたっぷり。美味しくいただきました。

 

 

おてらおやつクラブのこと

みなさまの温かいご支援のもと、
おやつクラブの活動を続けることができています。
いつも本当にありがとうございます。

活動を始めた当初は、
食べきれなかったお供え物の和菓子をお下がりとして発送させていただいていましたが、
最近では「これおやつクラブに!」と言って、
子どもが喜びそうなスナック菓子やお米などをお供えしてくださる方が増えてきました。
みなさんの気持ちが、子どもたちの笑顔につながっていることを期待したいですね。

おやつの送り先は、きのくに子どもNPOという団体です。
こちらでは母子家庭や共働きなどのご家庭で、
一人で食事をせざるをえないお子さんを対象に、
みんなで食事をする場所を提供したり、自炊を学んだり、
大学生がきて勉強を教えたりと様々な活動をされています。

支援をする私たちとしては、
賞味期限が最低2週間は残っているもの、
身体に良いものなど気を配って発送しています。
先日は家庭菜園で採れた野菜を届けてくださった方があり、
大変よろこばれました。
お米や麺類も喜ばれます!

おてらおやつクラブの事務局は奈良県の安養寺にあり、
全国の917の寺院が加盟しています。
お寺の数はまだまだまだまだありますので、
もっともっと増えることを期待しています。

おやつ8.20

今月はダンボール箱ふたつ分

いのち訪ねるお盆法要

猛暑に見舞われたお盆が過ぎ、
久しぶりに雨が降ったせいか、お寺は少しホッとした空気です。
今年の合同お盆法要は14日15日で、合計でなんと300人以上が参加されました。
昨年は本堂が満員になると大変暑かったのですが、
今年はエアコン2台態勢で望んだおかげでよく冷えたものでした。

お勤めは重誓偈(じゅうせいげ)です。
読経のあと本願寺新報より「悲しみは生き抜く力」
という記事をご紹介させていただきました。

記事を書かれたのは、あそかビハーラ病院という、
特に終末期のがん患者さんが入院する病院で常駐僧侶として
勤務している花岡尚樹さんという方です。
こちらの病院では年間およそ150人の看取りがあり、
ご遺族のグリーフケア(深い悲しみ、悲嘆に寄り添う)
の一環として病院内で初盆法要をおつとめするそうです。

様々なご遺族が、それぞれの悲嘆を抱えてお参りする中で、
お母さまを亡くされたあるご遺族が、
親戚に配られた文章が紹介されていました。
そこには「法事の意義」と題して、故人の思い出に続いて
次の文章が書かれてありました。

「法事は感謝のための法要である。
我々の命は一人で生きてきた<いのち>ではなく、
多くの縦にも横にもつらなる深い<いのち>の中にいることを肝に命じ、先祖に感謝したい。
また、かけがえのない人を亡くされた時、
わかっていても、どうしようもない悲しみに涙せずにおられない。
亡くなった人を偲ぶことを『弔う』というが、
『とぶらう』とは『訪う』という意味で、訪ねていくことである。
どこに訪ねるか?
亡き人のこころに、そして仏さまのこころに」。

今年は初盆の方が多くありました。
私個人としても親戚に不幸があり、寂しい思いをした年でした。
あまりに大きな死別の悲しみに直面したとき、
人は生きる意欲を失ってしまうことがあります。
親鸞聖人も「愛するものと別れなければならない苦は、一番切実です」
とお言葉を残されています。
死別は誰しもが必ず経験するものですが、
そのような悲しみの中で、
生き抜く力を取り戻すためのヒントがここにあるように思いました。

縦にも横にもつらなる深い命。
浄土真宗では阿弥陀さまが極楽浄土を作って
私たちを迎えてくださっていると説かれます。
この極楽浄土のことをよく<いのちのふるさと>と表現されます。
すべての命とつながり、
「悲しい者は悲しいまんま、寂しい者は寂しいまんま、
そのままおいで、必ず救う。だから安心して生きてください」
という阿弥陀さまのおこころを聞き、
悲しみを生き抜く力、ではなく、悲しみは生き抜く力、となる私に育てられていく。
そんな仏縁を育んでいけたら、本当にありがたいことだと思います。

H30.8

お盆シーズン到来

8月に入り、
善称寺もそろそろお盆のシーズンに入ります。
住職がお参りで留守になることが多くなります。
相談やご用の方は
事前にお電話にて確認していただければ助かります。

お墓参りの方は、熱中症にくれぐれも気をつけてくださいね。
昨日、元気にお墓まいりをされていたおばあちゃんは、
首から下げたドリンクをゴクゴク飲んでおられました。

 

お盆の提灯

近くのホームセンターに買い物に行った際、
「お盆コーナー」を見かけました。

ぼんぼり

浄土真宗では、このようなお迎えの提灯は用いませんが、
お盆参りに伺ったお宅でちょくちょく見かけるものです。
そんな時には、日頃からしっかりとお盆の意味をお伝えしていない
住職の至らなさを反省いたします。

それでも、すでに購入されてあるものを
処分するよう言うわけにもいかず、
この提灯をきっかけに
お盆のお話をさせていただく
ご縁にさせていただいております。

浄土真宗のお宅で、
これからお盆の準備をされるという方は、
購入しないようにお願いしたいものです。

遷仏式(他宗でいうお魂抜き)

本日は午前中に和歌山市営墓地にて、
遷仏(せんぶつ)式があります。
遷仏式は他宗派ではお魂抜きやお性根抜きなどと呼ばれます。

墓前にて読経後、石材店の方がお骨を取り出して布袋に入れ、
手渡してくれます。
その後は善称寺に移動して永代供養墓「ゆずり葉の碑」に納骨いたします。
お骨の場所は変わっても、
今までどおりお墓であることは変わりません。
墓前に刻まれた「南無阿弥陀仏」に手を合わせ、
お念仏いたします。

ところでこの猛暑。
墓地の気温もそうとうなものです。
お参りの方に涼んでいただけるよう、
待合所の冷房を効かせております。
どうぞ休んで行ってくださいませ。

 

坊主バーで思ったこと

先日、「坊主バー」というイベントがありました。
このイベントは、日頃あまり縁のないお坊さんという人種と、
お酒でも飲みながら、ざっくばらんにぶっちゃけトークをしませんか、
という趣旨で開催されており、今回で2回目になるそうです。

今回は「お盆にまつわるアレコレ」をテーマに、
お酒でも飲みながらぶっちゃけトークがなされました。
参加した坊主は私を含めて11人。
一般の参加者は30人程度だったかと思います。

様々な宗派の坊主が集まったわけですが、
浄土真宗とその他の宗派との考え方の違いがよく分かり、
私としても大変勉強になりました。
ぶっちゃけて言いますと、
浄土真宗だけが他宗と違う(まったく逆の)考え方をしているのですね。
そのことが「お盆」の迎え方にもよく表れていたのです。

2018-06-23 16.42.00

他宗ではお盆というと、
「ご先祖や亡き人の霊が帰ってくる期間」
と考えられています。
日本ではこの考え方が主流であり、
いまこのお便りを読んでいるあなたもそう思っているのでは?

しかし浄土真宗では、
人は死ぬと霊になるのではなく、仏になると説かれます。
私たちのお教本の「教義」という項目には以下のような事が記されています。

お念仏を称える日々をおくり、この世の命が尽きたとき、
浄土へ生まれて仏となり、再び迷いの世に帰って人々を教え導く。

私たちは、この世の命が尽きたとき、
お浄土に仏としての新しい命を恵まれます。
このことを「悟り」といい、すべての苦悩から解放されると言われます。
しかしお浄土でのんびりとしているわけではなく、
すぐさま私たちの現世に帰って来るのです。
安らかに眠っているわけではありません。
なぜでしょうか?
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私たちは老化、病気、死を避けることはできません。
愛する人とは必ず別れる時が来ますし、
顔も見たくないくらい嫌いな人とは必ず出会います。
仏教ではこの世のハッピーはすべて一時的なものであると説かれるのです。
うやむやにせず、真剣に私の人生を思ってみたとき、まさに苦悩の連続であると。
自分には苦悩がないと思っている人は、
世の中で起きている様々な出来事が
自分には関係がないと思っているのです。

一足さきにすべての苦悩から解放されて幸せになった故人は、
いまだ現世で悩み苦しむ私たちを見ていて心配でなりません。
それでいてもたってもいられず帰ってくるのです。

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この世に帰って私たちを教えに導いてくださる亡き方々。
教えとは、浄土真宗では「阿弥陀仏にまかせよ」と説かれます。
苦悩の私は迷っている、あぶなっかしい、一番心配されるべき、という生き方です。
「大丈夫」と思っていた私が
「条件がそろえばいつでも罪を犯す私である」と気づかされる生き方です。
世の中のすべてのことが他人事ではなくなる生き方です。

そのような私を見て「必ず救う」とおっしゃるのが阿弥陀さまです。
阿弥陀さまは生き方をおっしゃいません。
信じますか?などの条件もつけません。
迷っている、あぶなっかしい私に「そのまま来いよ、必ず救う」とおっしゃいます。(本願)

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しかし私たちは、そんな阿弥陀さまの「必ず救う」という呼び声を聞いたことがあるでしょうか?

お墓の前で「なむあみだぶつ」と声に出してみてください。
略して「なまんだーぶ」でも「なんまんだぶ」でもかまいません。
漢字で書くと「南無阿弥陀仏」です。
南無は、「おまかせしました」の意味。
その下に「阿弥陀仏」という仏様のお名前をつけて南無阿弥陀仏。
これはお念仏です。
私の口から出たお念仏は「阿弥陀さまにおまかせします」となります。
するとどうでしょう。私の耳に「なむあみだぶつ」と聞こえてくるではありませんか。
これが阿弥陀さまの呼び声「必ず救う」です。

阿弥陀さまはいつでもどこでも私の口からお出ましになります。
普段は不平不満や愚痴、悪口ばかり言ってる私の口から、仏さまが出てくださる。
しかも私の心のまんまに。
悲しいときは「悲しいね」
つらいときは「つらいね」
「そのまま来いよ、かならず救う」

H30.5.11

先だった方々のはたらきかけには感謝しかありません。
「大変な人生、阿弥陀さまに出会ってね」
そう願い、いつでも見守ってくださっているのです。
手を合わせる私の胸にいつでも帰ってきてくださる方です。
「お盆が過ぎれば来年まで会えない」では寂しすぎるではありませんか。

そして迷いに迷う、あぶなっかしい私が
仏となられた方を供養できるはずもありません。
反対に供養されなければならない私です。
お盆という機縁に、この私が阿弥陀さまに会わせていただきましょう。

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冒頭で紹介した坊主バーの会場では、
精霊棚はなぜ設けるの?
お供え物に乾物はいけないの?
など、主に他宗派の習わしに対する質問が多くありました。

「人間にはご先祖の供養はできない」
などと言ってもなかなか理解してもらえないのが浄土真宗の難しいところです。
私たち浄土真宗の僧侶は、他宗をよく理解し受け入れ、
その上で優しく浄土真宗の教えを伝えていく必要があるのでしょう。

6.17

先立つ我が子は仏さま

お墓のことで相談にこられたご夫婦。
自分たちのお墓のことはもちろんだれど、
約30数年前に死産した我が子のことがとても気になっているとのことでした。
奥様は数年間は水子供養にと、水間観音に通っていた時期もあったそうです。
今回、暮石に我が子の名前を刻むかどうか、迷っているのです。

実は浄土真宗では「水子」という表現は使いません。
母体に命が宿った時点で尊い命。
たとえ体内で死すとも命の尊厳はなんら変わることはありません。
ですから浄土真宗では、「水子」と特別にせず、
多くの方と同じように一周忌、三回忌などのお勤めを行っているのです。
その中で、先立った我が子こそ、
阿弥陀様のお救いを伝えにきた仏様であったと偲んでゆくのです。

仏教では、我が子が先立つことは、
最大の苦しみの一つであると言われます。
そのような経験をされた方を前に言葉もありません。
せめて、心をこめておつきあいを重ねさせていただければと思います。

H305.18ホタルブクロ

永代墓「ゆずり葉の碑」の足元にさいているのはホタルブクロ。
今が花盛りです。

墓前にもカーネーションを

本日は母の日ですね。
昨日、お花屋さんの前を通りかかったら、長い行列ができていました。

ゆずり葉の碑にカーネーションをお供えしている方がありました。
お寺でお供えしている花は菊が中心ですので、やはり華やぎますねぇ。

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永代墓「ゆずり葉の碑」は、
「お墓参りの時にお花を持ってこなくても、いつもお花がいっぱいですね!」
と言っていただくことが多いのですが、
こうしてそれぞれのお気持ちでお花をお供えしていただくことも多々あるのですよ。
みんなで良い雰囲気を作ってゆければ嬉しいですね。

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